其処や、
彼方にある
ゴール

  • 住生活カンパニー
  • 物流物資部 海運・物資課(取材当時)
  • 2000年入社

森 一Hajime Mori

Confrict
9 9

腕まくりした袖からは、前腕一面に彫り込まれたタトゥーが覗いている。厚手の作業着の上からも見て取れる筋骨隆々の大男たちが、彼の目の前に立っていた。男たちからジロリと視線を受けた彼は、思わずたじろいだ。

「……」

ロンドンから車で約三時間。ロードサイドに建つ、トラック・トラクター用タイヤのショップに、彼は初めて来ていた。店舗というよりは、整備場を兼ねた、小ぶりな倉庫のような空間だ。あちこちに積まれたタイヤは、大きなものでは人の背丈ほどもある。

男たちは、その腕っぷしひとつで、昨日まで誰にも文句を言われることなく、運送会社にタイヤを売り、交換作業をしてきた。

そこに、彼が単身、経営トップとして乗り込んできた。社員数約400名、全英に三五店舗をチェーン展開する、トラック・トラクター用タイヤ小売り会社の経営を立て直す。それが彼のミッションだった。

親会社であるK社を買収した日本の商社が、子会社の自分たちをどうしようとしているのか……。トラックやトラクターのタイヤ販売のことが商社マンであるこの日本人にわかるのか……。

男たちが疑心を抱いていることは、その表情がはっきりと物語っていた。

「遠いところ、わざわざようこそ」

そんな歓迎ムードは、もちろんない。

店長は彼に、こう言い放った。

「なにしに来たんだ。これは俺たちの商売だ。お前の商売じゃない。」

もともと彼は、商社で小売りをやりたいと思っていた。就活の際にも、面接官に強くアピールした。入社した二〇〇〇年は、就職氷河期だった。そんな中でも、自分は運が良かったと彼は思っている。他の総合商社含め、希望したすべての企業から内定を頂けた。

その年、伊藤忠商事は大きな赤字を抱えていた。だが、意気消沈するどころか、会社には勢いがあった。再生のために、ファミリーマートを通じた小売への参入など、他社とは違うことにどんどんチャレンジしていく。崖っぷちからの復活を信じ、全社が掲げた目標に向けて、各現場が奔走している熱さが、話を聞いた先輩社員や面接官たちから伝わってくる。

その一員として、仕事を追いかけている自分の姿がはっきりとイメージできた。彼は、迷うことなく伊藤忠商事を選んだ。

入社後に配属されたのは、婦人靴を扱う部署だった。業績は低迷しており、けっして花形事業とはいえない。だが、それだけに挑戦のしがいがあった。しかも、商品の原材料ではなく完成品を扱うことが、彼には魅力的だった。希望していた小売ビジネスそのものではないが、BtoBが主流の商社の中にあって、小売りに極めて近い仕事だからだ。

営業先は、百貨店やモールなどにショップ展開するアパレル会社だった。一緒に相談しながら、デザインや販売・マーケティング戦略の方向性を決め、それに沿った試作品を提案する。デザインや色合いや強度を修正し、また打ち合わせをする。何度も客先に足を運び、ようやく最終形ができあがる。

つぎは、工場への発注だ。中国に飛んで生産管理や品質管理を行い、日本へと送り出す。その製品を顧客の倉庫に納入する。売れ行きを見ながら、追加発注の相談をする。

シーズンごとに、自分が携わった百種類ほどの靴が店先に並ぶ。それらは街のあちこちで女性たちの足元を飾る。仕事の結果が、カタチとして目に見える喜びは大きかった。街角で履いている人を見かけると、思わずこう言いたくなる。

「その靴、自分がつくったんですけど、履き心地はどうですか?」

もちろん、心の中に留める。本当は声をかけてみたいのに……。そのモヤモヤ感さえ、彼にとっては楽しかった。

靴事業が社内から独立し、事業会社としてスピンアウトしたのは入社四年目のことである。彼は立ち上げメンバーの一員として出向し、初年度からトップの売上を出した。翌年には営業課の課長になり、その翌年には部長に抜擢され、従業員約五十名の会社の舵取りを任された。

ミラノの展示会に足を運んだり、他社商品をバラバラに分解して研究したり、靴の知識が十分ではない洋服店には売り方を提案したりもした。気が付けば、足を見ただけでその人の靴のサイズが分かるまでになっていた。

「自分たちの力で、日本の靴のトレンドをつくろう!」

彼はそんなゴールを示し、従業員たちと一緒に勢いよく上を目指していた。どう接すれば、うまく働いてもらえるか、問題が起こったらどう導けばいいのか。製造委託先である中国の工場に赴いた際には、文化の異なる現地の従業員たちとコミュニケーションを取ることにも苦労したが、大いに勉強になった。本当に充実した日々が続いていた。


だから、突然の辞令で本社に戻されたとき、自分の中のとても大きなものを突然奪われたような気持ちになった。

「森は入社以来、最前線ばかりだろ。会社全体を見られる経営企画部は、いい経験になるぞ」

確かに、後から考えれば、長期的かつ多面的な視点から物事を捉えられる貴重な機会になった。だが、当時の彼にとって、気持ちをきっぱり切り替えることは難しかった。身を置いているのは、将来ビジョンも含めた会社の情報が、各部門からくまなく集まってくる部署である。もちろん、出向していた靴の事業会社も例外ではない。毎月の業績推移には真っ先に目を通していたし、かつての部下たちとも連絡を取り合うなど、最前線で仕事をしていた時の気持ちを片時も忘れることはなかった。

異動して一年が経つ頃、雲行きの怪しさを、彼はうすうす感じていた。そして遂に、その事業会社の清算が現実のものとなってしまったのだ。

「この時が来てしまった……」

経営体質の強化のため、伊藤忠商事は事業の「選択と集中」を推し進める最中にあったのだ。苦楽を共にした従業員一人ひとりの顔が浮かんだ。

会社を清算するにあたり彼は、かつての取引先と約一年にわたって交渉するなど、従業員たちの再雇用先を探し回った。靴づくりを続けられるとはいえ、これまでとは異なる環境下で大変な思いをさせてしまうことは容易に想像がつく。だが、これが彼にできる精一杯だった。



経営企画部での仕事を二年経験したあと、彼はイギリスに駐在することになった。

伊藤忠商事はかねてから、この地でタイヤの卸売業を展開していた。当初は苦戦したが、長い年月をかけ、タイヤ卸売でイギリスナンバーワンの会社となっていた。そして傘下に約百店の直営小売店舗を持つまでに至った。そして、次の一手を打つ。

二〇一一年、交渉を重ねた末に、イギリスに本社を置く欧州最大のタイヤ小売チェーンの買収へとこぎつけた。従業員八千人、全欧に約千店を擁するK社である。日本資本の卸売業者に吸収された構図となり、K社の中には反発するの声が大きかった。

「どうして俺たちが買収されないといけないんだ」

「しかも、うちがタイヤを仕入れてやってきた卸じゃないか」

こうした状況下で、二社の経営統合を円滑に進める。もともとの卸会社を一躍イギリスナンバーワンの会社へと転換させた社長をサポートすることが彼の任務だった。

水と油ほどに文化が異なる両社を、いかに融け合わせていくか。日本流のきめ細やかな商売を、いかに現場へ浸透させていくか。

商社のビジネスでは、交渉のプロセスこそ容易ではないが、最終的には契約を交わし、その合意に従って進められていく。伊藤忠商事の本社は、この買収案件も契約通り、滞りなく進むと認識していたに違いない。

ところが今回は事情が違った。行動の必要性を販売現場が納得しなければ、お題目をいくら掲げたところで誰も従いはしない。契約による企業間のドライな合意ではなく、従業員八千人すべての納得とやる気を得てはじめて、物事が動き始めるのである。当然、根気と時間が必要となる。しかし、そんな現地の状況を九〇〇〇キロ以上離れた東京の本社がすんなり理解できないのも仕方がないことではあった。このことも承知した上で、社長がため息をつく。

「また、本社から発破をかけられたよ」

「今期の数字ですか?」

「ああ、そんなに早く、パッと変わる商売じゃないのにな」

本社の説得と、地道な現場まわりの板挟みになる日々が続いた。

空気タイヤは、イギリスの発明家が生んだという歴史がある。と同時に、この国は蒸気自動車の発祥の国でもある。こうした伝統ある国で、従業員たちは自分の仕事に確固たるプライドを持っている。その相手に、押し付けは通用しない。

従業員たち自らに、自分が理想とする店、ずっと働きたくなる店を考えさせる。そんな店を実現するために何をすればいいかと問いかける。返ってくる答えはさまざまだったが、突き詰めると極めてシンプルな言葉でもあった。「サービス」である。

同じ小売であっても、タイヤ店には他とは大きく異なる点がある。客は、ほしいものを買いに来るのではなく、パンクや積雪などで仕方なく来店するということだ。「やれやれ……」という気分でやってくる客を、きれいな店で気持ちよく迎え、満足してもらって送り出す。よりきめ細かなサービスが求められる。その重要性は、従業員たちも十分に認識していた。

となれば、サービスの向上につながることを、一つ一つ実践していくだけである。その成果は、彼がかつて店先や街角で自分の手がけた靴を見かけたときと同じように、はっきりと目に見える変化として表れた。

「今日回ってきた店も、見違えるように変わっていました!」

「そうかー!」

「みんな、すごく目を輝かせて、キビキビ動いてるんですよ!最初に見た雰囲気とは比べものになりません!」

従業員たちの意識が変わり、行動が変わり、店の雰囲気も変わっていく。それが顧客の満足度を高め、売上の増加という結果に繋がっていった。

渡英から三年目、現地で培ってきた経験を、存分に発揮できるチャンスが彼に訪れた。トラックタイヤの小売チェーン・C社の経営を任されることになったのだ。C社は従業員四百名、全英に三五店舗を展開していたが、近年赤字にあえいでいた。

その再建を果たすべく、経営トップとして、小売に挑む。

プレッシャーは大きいが、楽しみな気持ちが勝っていた。しかし、それは初めて訪れたあの一店目で、痛烈な洗礼を受ける前夜までのことだった。


赴任初日に販売現場を訪ねて感じたのは、恐さだった。それは従業員たちの屈強な風貌ではなく、商品である巨大なタイヤを扱う恐さだ。作業中に破裂でもしたものなら、客や従業員の命に関わる。小さな整備不良でも大きな事故を引き起こしてしまう。

安全対策の徹底はもちろん、旧態依然とした業務の仕組み、顧客へのサービスなど、未整備の部分は山ほどあり、改善できるポイントは多い。たとえば、来店客の状況を理解し、それに応じた提案をしっかりと打ち出していく。顧客の消費データを分析することで改善のアイデアは尽きない。仕入価格や販売価格の改善、更にシステム化できるところから迅速に進める。可能性の大きな仕事であることは明らかだ。

その上で最も重要なのは、K社と同じく、従業員一人一人の意識を変えることだ。

彼は全ての店舗を月に一度は訪ねた。遠い店舗は、片道五時間の道のりになる。まだ空が真っ暗な早朝に自宅を出て、開店時間に間に合うように車を走らせる。車内に流れるお気に入りの音楽も、車窓に映るのんびりとした草原の羊たちの姿も、彼の心を動かすことはできなかった。あそこの従業員はどれだけ変わっているだろうか。あの従業員にこちらの思いをわかってもらうためには、どうしたらいいのだろうか。とにかく頭の中は、従業員たちのことでいっぱいだった。

この道五十年六十年という、いわばタイヤ販売の主のような者も少なくない。ましてや、ここは完全なアウェイ・グラウンドである。かつて、靴の事業会社で責任者になったとき、部下には自分の父母ほど年上の者や、文化の違う外国人スタッフも大勢いた。信頼関係をいかにして構築し、チームワークを育んでいくかを学ばせてもらった。軸となるのは、それぞれが自分の役割をしっかり理解し、それをプロとしてきっちり果たすことだ。

特に小売業では、多くのお客様と接する従業員一人一人に、会社を代表する顔としての意識を持ってもらわなければならない。

「サービス面でも安全面でも、イギリスナンバーワンの会社にしよう」

大きな目標を掲げることで変革の先にあるゴールを示し、彼は従業員たちを鼓舞し続けた。

だが、長年にわたって染みついてきた習慣は、強固なものだった。前回来店した際には改善されていたことが、再び来店して確認するとできていない。ゴールどころか、振り出しに戻っている。各店舗から報告される毎月の業績は横ばいのままだ。なにより、なかなか消えないヨソ者扱いの空気感が重たくのしかかっていた。しかし、自分がトップである以上、すべてを背負わなければならない。

押しつぶされそうな彼を支えていたのは、たった一つの思いだ。

あれ程思い入れのあった靴の事業会社を、清算しなければならなかった。あのときのやりきれなさに比べたら、なんでもない。

今回だって、目の前にある自分がすべきことを愚直に、丹念に繰り返していくだけだ。人種や文化は違えど従業員たちに想いはきっと伝わると信じ、彼はひたすら現場でのコミュニケーションを図った。


「おい、Hajime(はじめ)、昨日のサッカー、観たか?」

従業員たちから心を開いて話しかけられるようになったのは、着任から一年が過ぎた頃のことだった。

ちょうど時期を同じくして、C社の業績は赤字から黒字へと大きく転じた。


経営を軌道に乗せて帰国した彼は、イギリスでの経験を次につなげようとしている。

EVや自動運転など、自動車業界をめぐる環境は大きく変わりつつある。この先どんな未来が訪れても、世界最大のプレゼンスを持ったタイヤのサービスプロバイダーを目指す。自動車、建設不動産、物流やコンビニなど、社内リソースとのシナジーを生み出せる伊藤忠商事ならではの強みを発揮すれば、決して不可能なことではない。イギリスの従業員たちの存在も心強い。


「これは俺たちの商売だ。お前の商売じゃない」

あのときこう言い放った一店舗目の店長は、C社を再生させて帰国が決まった彼にポツリと言った。

「お前が来てくれて本当によかった。これは俺たちとお前の、商売だ」