ブレーキが
信頼できてこそ、
アクセルを
踏み込める

  • エネルギー・化学品カンパニー
  • CFO
  • 1990年入社

髙井 研治Kenji Takai

Conflict
8 9

北京へと向かう機内で、同行していた営業担当のAが、冗談めかして言った。

「今回も髙井さんはぶち切れる役で、僕はなだめる役でいきましょう」

役を演じるどころか、舞台の幕が閉じられることは、ほぼ決定事項だった。出資した中国の会社でさまざまな問題が発覚していた。半年前にも二人で現地へと飛んだが、改善の兆しが見られず、二度目の出張となったのだ。

営業であるAの立場としては、事業をなんとか存続させたい。そのために、出資会社を買収してもらう交渉を進めたい。その気持ちは、よくわかる。自分だって、そうできたら、どんなにいいだろう。ため息交じりで、彼はAに言った。

「いや、なにをどうやっても、あの会社はもうダメだと思う……」

北京駐在時に彼自身が財務担当として立ち上げに奔走した会社だった。


大学四年のとき、わざと単位を落として、就職浪人の道を選んだ。内定式に出席した会社が、年明けに世間を騒がす事件を起こしたということもあるが、それはきっかけに過ぎない。ほとんど就活もせず、将来について深く考えずに就職先を決めたことに、もやもやした思いが募っていた。息子の決断に、両親は言った。

「お前が決めたんなら、それでいい。次こそは、悔いのないようにやりなさい」

翌年は、いろんな会社を精力的にまわった。ある商社のOB訪問では、自分と同年齢の若手社員の態度に腹が立ち、口論になった。それくらいの熱さで就活に奔走した彼に、もっとも早い内定を出したのが伊藤忠商事だった。続けて、銀行や他の商社からも内定が出た。バブル景気の一九九〇年当時、銀行は一〇〇〇人規模、商社も数百人規模の大量採用をしていた。それに対して、伊藤忠商事は一五〇人。戦力として、どちらが埋もれないかは明らかだった。

前年に辞退した会社の採用担当者に報告すると、こう言ってくれたことをよく覚えている。

「そうか、良かったな。伊藤忠商事はいい会社だよ」

プラントを建てたいとか、繊維を扱いたいとか、なにか特別にやりたいことがあったわけではない。それでも、商社に入ったからには、営業として世界を相手に商売をつくっていけるものだと思っていた。ところが、新入社員研修後に配属されたのは、経理部海外経理課だった。

「え? どうしてオレが経理なの?」

そんな彼の気持ちなどおかまいなしに、上司は徹底して鍛えにかかる。

「髙井、機械カンパニーから来てたB社の件、調べてくれたか?」

「ええと……、業績は好調です」

「で、いくらなんだ?」

「はあ……、いくらと言いますと?」

経理の現場では、なにかの事象を伝達するときに数字が入っていなければ、相手に受け入れられない。

「いいか髙井、これからは数字でモノを言うようにしろ!」

「は、はい!」

とにかく数字で物事を捉えることを心がけ、無我夢中の毎日だった。すると、経理の面白さが徐々にわかってきた。すべての事象が貸借の仕訳で表すことができる。「誰から買うのか」「誰に売るのか」「どこの国から仕入れて、その在庫はどこに置くのか」。仕訳を見れば、どういう取引をしているのかがイメージできる。逆に、わからないことがあれば仕訳をして分析する。するとスーッと理解が進む。物事の本質を数字で捉まえるという思考回路が、自分の中に生まれてきた。いつしか、配属当初のブルーな気持ちはなくなっていた。

もっとも苦労したのは、数字の多い・少ないという感覚がなかなか掴めなかったことだ。「ある課が一億円儲けた」「ある課が一〇〇〇万円損した」と聞いても、それぞれの数字がどれだけの成果や損失を示すものなのかピンと来ない。「数字を感じる」という感覚が身に付いたと実感できたのは、入社一〇年目の頃だった。

入社二年目の春に中国語研修を命じられ、台北・北京・上海で約二年間暮らすことになった。朝から語学学校に通い、夕方は家庭教師からレッスンを受ける。休日には食べ歩きをしたり飲みに行ったりして、他の商社の仲間や中国人の友人もできた。あまりの楽しさに恐くなるほどだった。数字にもいっさい触れない毎日が続く中で、東京から届く社内報で同期の活躍ぶりを目にすると、焦りが襲ってくる。

「オレは毎日、なにをやっているんだろう」

とはいえ、目的である中国語は間違いなく上達している。研修後は中国に赴任するものだと思っていた。ところが、待っていたのは意外な辞令だった。

「え? 名古屋?」

営業部門からの税務上の相談事に応えながら、約五年間の実務経験を積んだ。その後も、東京に約一年、ロサンゼルスとサンタクララに約四年半駐在、東京に戻って約五年と、中国語を使う必要のない土地を転々とした。

語学研修から約一五年が経過した二〇〇九年、そのときが巡ってきた。彼は、中国経営管理グループ長代行となったのだ。

上海に赴任すると、街並みがすっかり変わっていた。活気は以前からあったが、ビルが驚くほど高くなっていた。研修当時には食べられなかった日本食の店も軒を連ね、生活には何の不自由もない。

ただし、最初に任された仕事は気が重くなるものだった。日本を発つ際、上司からこう言われていた。

「上海は内部統制ができていないから、ちゃんとしてきてくれ」

内部統制室長を兼務してのテコ入れがミッションだった。中国人スタッフ五名の内部統制室に入ると、雰囲気がどんよりしている。「書類のここにハンコを押してくれ」「こういうチェックリストを作ってくれ」といった、手間のかかる作業を社内中に依頼する部署である。丁寧に取り組むほど鬱陶しがられる、という役回りだった。

着任当初に聞いた、あるスタッフの言葉も彼の心にひっかかった。

「この内部統制室ほど、会社で報われない仕事は他にないですよ」

内部統制に対する従業員たちの意識を変えるには、トップダウンしかない。彼は早速、社長に直訴し、部長層にも徹底を求めた。売り買いされる商品はもちろん大事だが、それを裏で支えるルールや仕組みこそ、目には見えないが信頼醸成に欠かせないものなのだ。重要性を何度も説いてもらうようにした。その成果は、徐々に現れ始める。疎まれるムードは消え、理解が得られるようになった。

赴任から半年後、内部統制室が軌道に乗ったタイミングで、北京への異動辞令が出た。日頃から彼を慕い、婚約者を紹介してくれたこともある中国人スタッフが、デスクに駆け寄ってきた。両目に、いっぱいの涙を浮かべている。去りゆく上司を真っ直ぐに見つめ、声を震わせながら、こう言った。

「いろいろありがとうございました。髙井さんが来てくれて、僕たち内部統制室の地位は格段に上がりました」

営業担当のAと北京へと飛んだのは、約五年の中国赴任から東京に戻って、まもなくのことだった。

北京で立ち上げた会社の数字がどうもおかしい、ということで調査が進められていた。その結果、パートナー企業による身勝手な資金流用の常態化が判明した。それをどう返済させるか。これ以上の流用を防ぐためにどんな仕組みをつくるか。なによりも前に、パートナーに預けてある財務印を取り戻さなければならない。銀行の入出金に必要な印だから、彼らも簡単には手放さないだろう。とにかく現地に二人で乗り込んだ。

「とりあえず髙井さんは、怒る役になってください」

Aからは事前にそう言われていたものの、最初は冷静な対応を試みた。ところが、パートナーの激しい抵抗を受け、本当に頭に血が上ってしまった。

「ふざけるな! 早くハンコを出せ! 渡すまで帰らないぞ」

中国語でワーッとまくしたてる彼を、Aは慌てて抑えた。

「た、髙井さん、そんなに怒らなくても……」

喧々囂々の末に、ようやく財務印を受け取ることができた。今後の財務経理の取り決めについても、パートナーに言い聞かせた。

予想以上に時間がかかり、帰国便の時間が迫っていた。乗り遅れるとAは翌日のアポイントに間に合わない。空港へと急ぎ、ほぼ出発時刻にチェックインができてホッとしたのも束の間、Aがこう言った。

「飛行機、もう飛んじゃうかもしれないから走ってください」

「え? チェックインできたから待ってくれるんじゃないの?」

「いやいや、この国では飛んじゃいます」

大切な財務印の入ったカバンを抱えながら、全力疾走で機内へと滑り込んだ。それが、Aとの一回目の北京出張だった。

その半年後、Aと二回目の北京出張に向かった。パートナーの経営は一向に改善されないままで、彼は機械カンパニーCFOからこう言われていた。

「もう、やめてこい」

一方で、Aはわずかな可能性に賭けていた。オペレーションをしっかり立て直せば、ある程度の値で株式が売却できる。買収に名乗りを上げた会社を訪ねるのも、この出張の目的だった。だが、いざ面談してみると、Aが言うほど興味を持っているわけではなかった。むしろ、伊藤忠商事に資金を追加させて「一緒にやりましょう」という腹づもりである。会社を引き取ってもらいたいという伊藤忠商事の思惑とは、大きなズレがあった。彼は、諭すようにAに言った。

「難しいんじゃないか。もうやめよう」

帰国後すぐにミーティングを開き、撤退を決めた。

伊藤忠商事が保有する株はどうにか手放したいところだが、社外に買い手がつきそうにないため、当時の幹部層に売ることにした。損失を最小限に抑えるためには、スピードが大切だ。会社を立て直してから売却するという発想もあったが、あのまま所有していたら損失はさらに膨らんでいただろう。

あくまで想像だが、Aも撤退が妥当だと考えていたのではないだろうか。だが、営業という立場上、「ダメだ」「できない」と踏ん切りをつけることはなかなか難しい。それぞれの立場や思いを理解し合いながら、答えを探して決断を促すことが大切だと彼は思う。

悔しい思いをしたのは、Aだけではない。立ち上げに深く関わった彼も同じだ。

中国合弁事業を始めるにあたって、伊藤忠商事が出資したのは四〇%、残りの過半数をパートナーが出資することになっていた。投資を行った直後、パートナーから事業資金が足りないと請われ、彼は日本の銀行からの融資も取り持った。ただし、日本の銀行からは伊藤忠商事の保証を要求された。これは投資に加えて、保証というリスクマネーを増やしたことになる。エクスポージャーの度合いを高めたのは、事業推進サイドにいた自分に他ならない。新会社のためと思ってやったことが、結果としては裏目に出てしまった。

もう一つ、現場が出していたサインをキャッチできなかったことも悔やまれる。伊藤忠商事から新会社への出向者である二人に、彼はあるとき尋ねた。

「最近どう? 数字はどうなってる?」

「それが、うまく聞かないと、なかなか教えてくれないんですよ」

株主とはいえ、日本からやってきた伊藤忠商事は、ここではマイノリティの立場にある。あまり強く言って現場の空気をぎくしゃくさせてはいけないと、パートナーになにかと遠慮していた。それがアダになったということだ。思えば、オフィスを訪ねるといつも、二人は四畳半ほどの角部屋に押し込まれるようにポツンと座っていた。パートナーたちと融合している雰囲気は、まったくない。いまだったら、そんな光景を一目見たら即時に思うだろう。「これは、どこかおかしい」。だが、当時の彼は、その嗅覚を持ち得なかった。

それ以来、言葉の裏側を読むようになった。「うまくやっているんです」と言っていても、現場を見なければ、本質はわからない。数字だけでなく、現場が発している空気を感じることも重要なのである。人は物事をよく見せたがるし、心配させまいと取り繕うものだ。それは悪いことではない。自分たち経理財務の役割は、そんな感情を理解しながらも、目の前のファクトに基づいて正しく導いてあげることだと彼は思う。二回目の出張でAに対して、彼はそれを実行したのだった。

「ようやく、終わらせることができた」

達成感にも似た安堵の気持ちは、アメリカ駐在時にも味わったことがある。事業会社を畳んだときのことだ。以前から経営が傾いていたこともあり、従業員たちに大きな混乱は起こらなかった。それでも、会社の清算には、大変な労力を要する。弁護士とのやりとり、従業員の再雇用の斡旋からオフィス契約の解除に至るまで、やるべきことは山のようにある。

最後の日、従業員の姿も、書類も備品もないガランとしたオフィスのドアを閉じたバタンという音と、施錠したガチャという音が、いまも耳に残っている。

西海岸の真っ青な空を見上げて、気持ちを切り替えた。

さあ、つぎに進もう。

いま彼は、エネルギー・化学品カンパニーのCFOをしている。直属の部下は約五十名。かつての彼と同じように、「営業をやりたくて入社してきたのに、なぜ管理部門なんだ?」と、戸惑う若手もいる。だが、一つのビジネスをつくって運営するには、財務経理、事業、リスクといった管理業務が不可欠である。そして、社会の変化とともに常識もどんどん変わりゆく時代にあって、アクセルを踏んで走る営業の横に座り、ナビゲートしたりブレーキを踏んだりする役回りはますます重要となっている。彼は若手にこう言って聞かせる。

「オレたちも儲けをつくっているんだぞ」

管理部門のサポートで個々の案件を最適化すれば、それだけ利益にもつながる。損失を食い止めることができる。営業と立場は違えど、自分たちも伊藤忠商事で働く商社パーソンなのだ。

そんな管理部門としての役回りの意識は、日常的な営業担当者たちの相談に対応するシーンでも強く必要とされる。物事には相対的なものがあるので、絶対的にこれが正しいという答えがある訳ではない。そこが管理部門の難しさであり、どう判断すべきかではなく、なぜそう判断されたかが営業サイドからは求められるのだ。「なんでダメなの」に対して、「こうなんです」と明確に答えられなければ、なかなか納得されず、ことは円滑に進んでいかない。

部下の中には、こんな悩みを漏らす者も何人かいる。

「答えを出すまでに時間がかかるんです」

「そんなのまったく問題ないよ。オレだってそうだったから」

名古屋にいた二〇代後半の頃、機械カンパニーの営業担当者が、しょっちゅう相談に来ていた。

「おい髙井、こういうときって、どういう承認いるんだ?」

「こんなことをやったら、問題ある?」

年齢の近い後輩社員ということで、自分は質問しやすい存在だったのかもしれない。だが、語学研修での二年間のブランクもあり、即答できるだけの知識がない。いつも、こう返すしかなかった。

「すみません、調べておきます」

「おう、頼んだぞ」

自信がなく、臆病で慎重な自分が、嫌でたまらなかった。営業に対してアクセルを踏ませることもハンドルを切らせることも、即座にガイドできない自分がもどかしかった。

ある日、飲みに誘われた居酒屋で、彼はその先輩にこぼした。

「すみません。いつも仕事が遅くて……」

そのときの先輩からの言葉を、彼はそのまま、いまの部下たちに伝えている。

「いや、お前はそこがいいんだよ」

「え?」

「だって、いい加減なことを即答されたほうが困るからさ」

そして、先輩はこう続けた。

「お前は、すぐに答えないから、信頼できるんだ」