教科書の
ない世界へ

  • 機械カンパニー
  • 電力プロジェクト部
  • 電力プロジェクト第二課 課長代行(取材当時)
  • 1998年入社

寺内 香織Kaori Terauchi

Conflict
7 9

中東出張からの帰り際、先輩から一本の電話が入った。

「あの担当者、タイにいるらしいから、よろしく頼む」

……らしい? 頼むって、これからタイでトランジットして、一人で話を付けてこいってこと?

急展開に戸惑いながらも担当者とコンタクトを取ると、夕食の時間なら予定が空いているとの返信が届いた。相手は、イラン政府の法務担当者である。これまでに四回テヘランに飛び、現地でのプラント建設における契約交渉を重ねてきたが、最終合意にまでは至っていなかった。

バンコクで食事を共にしたが、担当者はのらりくらりとかわして、本題に迫るタイミングがつかめない。彼女のカバンの中には、大切な書類が入っている。それにサインをもらわなければならない。焦る彼女とは対照的に、担当者は余裕の表情だ。人力車に乗って、次の店へと交渉の場を移すことになった。

ようやく核心に行き着いたものの、いくつかの譲歩を求められた。

「どうしよう……」

東京は真夜中だから、本社の法務部に相談することもできない。彼女は覚悟を決めた。もう自分で判断するしかない。

私が、社命を背負っているんだ。


彼女は、幼少期をアラブ首長国連邦で過ごした。重工メーカーの駐在員だった父親の異動にともない、小学二年の時に帰国し、中学から大学までの一貫校に入って、のびのびとした学生時代を送った。とにかく勉強が大好きでたまらなかった。

大学の法学部では一般教養科目も片っ端から履修し、全てに出席して最前列でノートをとる。それでも飽き足らずに司法試験を目指し、三年生のときに一次試験に合格した。検事か、弁護士か、裁判官か、なにかになりたいという夢や目標が特にあったわけではない。ただ、自分の中から湧き出る衝動に従っただけだ。

「ひたすら吸収したい。あらゆることを知りたい」

アルバイトも、家庭教師だけでは満足できない。フレンチ・イタリアン・中華といった飲食から、イベント通訳、政治家の集まるパーティーや結婚式場の裏方、レジ打ちまで、いろんな世界を覗いてみた。それでも、将来どうなりたいのかは見つからなかった。

そんな状態で就活を始めても、自分が社会で働くイメージが持てないから面接の答えにも熱が入らない。受けた会社には、ことごとく落ちてしまう。就職氷河期でもあり、司法試験に本腰を入れるしかないかと思っていた矢先、サークルの仲間から声をかけられた。

「商社に行ったOBがごはん奢ってくれるから、一緒に行ってみない?」

軽い気持ちでついていったのだが、話の面白さにたちまち引き込まれていた。「この人のいる会社で働きたい」と思った。その前に、他の商社も知っておこうと、何社か通ううちに出会ったのが伊藤忠商事だった。こちらも先輩たちが魅力的で、先の商社と甲乙つけがたい。どちらに行こうかと悩んでいたある日、伊藤忠商事本社のロビーでふと、サークル仲間の言葉を思い出した。

「俺は、親父が伊藤忠商事にいるから入社できないんだ、本当は行きたいのに……」

なぜか、フッと迷いが消えた。彼が見ることのできない世界を覗きに行こうと思ったのかもしれない。

ロビーの吹き抜けを見上げながら、彼女は決心した。

「うん、ここだ」

入社後の最初の配属先は、石油化学プラントを扱う部署だった。その年は法務部門での採用枠がなく、希望部署を尋ねられたとき、とっさに出た言葉が「プラントでお願いします」だった。父親がプラントに携わっていたからなのだと思う。門外漢でもなんとかやっていけるだろう。勉強が大好きな自分なら、きっと大丈夫だ。

しかし、とんだ思い違いだと、すぐに気付かされた。

一口に石油・天然ガスといっても、陸上や海といった採掘場所も違えば、化学的な性質も多種多様である。それらをどんな製品に精製するのか。船で送るのかパイプラインで送るのか。輸出するのか自国で消費するのか。覚えること、考えることは、果てしない大海のように広がっている。

「おい寺内、今回はベネズエラからアジアに持って来るぞ」

「むむ……? どういうこと?」

よくわからないまま、耳にした言葉をひたすらメモして、言わんとする意図やプロセスを推測する。財務や法務など会社中を駆け回って質問もしまくったが、本当に理解できるまでにはいたらない。ともかく指示されたことを順にこなしてはいくが、全体の仕事の中でなにをしたのか、自分のやっていることが把握できない。大海をもがいてももがいても、島影一つ見えてこない。

それは、人生で初めての経験だった。教科書や参考書があれば、なにを学べばいいのかもわかるし、明快な答えもある。だが学生時代と違って、ここには教え導いてくれる本などないから、まるっきり見当がつかない。先の見えないものを吸収し続けなければならない毎日に、ふと、思った。

「まるで海の水を飲んでいるようだ……」

そんな彼女を救ったのは、入社五年目の思いがけない辞令だった。

「寺内、ロースクールに行ってみるか?」

渡りに船とは、このことである。不合格に終わった司法試験の二次試験以来しばらく離れているとはいえ、法律だったら頑張り方がわかる。留学先となるニューヨークでの、彼女の新しい生活が始まった。

「なんでこんなところに来てしまったのだろう」

最初はうるさくて汚い街という印象しかなく、初めての一人暮らしの心細さも手伝い、自分の選択を悔やんだ。だが、次第に良い面が見えてくる。経済の中心地としての躍動感があり、さまざまな人種のカルチャーも刺激的だった。約三〇人のクラスメイトも、日本、中国、メキシコ、ロシア、フランス等と、世界中の企業や法律事務所から集まっている。外国人の合格率は約四割だったが、絶対に落ちるわけにはいかない。仲間たちとノートを取り合うなど協力しながら、ひたすらゴールを目指す。

リラックスできたのは、お気に入りの小さな美術館やカフェにいるときだけだ。それでも、大好きな勉強に没頭できる毎日は、とても幸せでならない。学生寮の窓の向こうには、自由の女神像が見えた。

渡米から一年半後、彼女は米国弁護士の資格を手にした。

帰国後の所属先も、以前と同じ部署だった。ところが、彼女を見る周りの目は、以前とはまったく違っていた。ロースクール帰りの弁護士というレッテルがそうさせるのだ。ただ、彼女が学んできたのはアメリカの一般的な法律であって、日本のプラントビジネスに使える建設契約や融資契約ではない。周囲の期待に応える自信など全くなかった。このビジネスではまだまだ勉強不足の身だという思いが蘇ってくる。

「寺内さん、ちょっといいですか?」

次々と浴びせられる質問は、大きなプレッシャーだった。資格を取らせてもらったのに、知らない、わからないでは申し訳ない。法学の専門書をめくり、ネットで調べ、必死に答えていた。そんな毎日を繰り返しているうちに、契約のポイントや全体像が掴めるようになってきた。即答できるケースも増えてきた。

「この条項が抜けてます」

「この権利は主張し続けるべきではないですか?」

彼女の属する現場部署の立場と、法務部とは、ときに伊藤忠商事の権利をどうプロテクトするかという観点で意見が異なりうる。営業としては契約を成立させるため「ここは譲歩して合意に導こう」となるが、法務部として譲歩が難しい局面もある。そんな両者の間に立つパイプ役となり、法務部には「こういう文言でいけませんか」、営業には「こういうふうに説得してはいかがでしょう」と、話が円滑に進むよう心がけた。

彼女は、会社に入って初めて、周囲から頼られ、自分が貢献していることを実感し始めた。アフリカや中東など、契約業務が忙しい地域の担当へと異動になったのもその証だと思う。

そして、社命を背負った、バンコクでの晩を迎えた。

メーカーM社がイラン政府に納入するプラント建設計画に際し、融資と貿易保険を伊藤忠商事が担うという案件だった。日本政府がイラン側に融資し、M社への支払いの滞りに備えた保険を付けるというスキームだ。日本円で三〇〇億円に及ぶ事業の契約内容や条件を、日本の銀行と保険会社に対して事細かに説明し、それをアレンジしていく。担当チームの中で一番歳下だった彼女も、現地へと足を運んだ。スカーフで髪を覆い、交渉に臨む。

イラン側の交渉相手は、石油公社の子会社の法務担当者だった。お祈りの時間になると退出を促され、外でじっと待つしかない。一日中、ずっと黙っていることもある。書類に目をやり、ようやく口を開いたかと思うと、ポツリと言う。

「ダメ」

「え? なんでダメなんですか?」

「とにかく、ダメ」

交渉というより我慢比べのようだと彼女は感じた。一回の出張で一か月ほぼ進展なく過ぎたことすらある。そうした過程で、M社に何度か社内でするようなアドバイスをした。主張すべきポイントを絞り、両社が合意できるポイントを探す。相手側の譲歩を引き出せたときは交渉に貢献できたことが嬉しかった。

イラン側との交渉は、イラン政府の保証をとれば締結される、という最終段階までこぎつけた。そのための保証書を作成し、政府の法務担当者のサインが得られればフィニッシュだ。当然ながら、政府は簡単には応じてくれない。契約・調印の日まで残り約一か月、なりふり構ってはいられなかった。相手がバンコクにいるなら、そこまで飛んで、サインをもらうしかない。その大役が、彼女に任されたのである。

何軒か店を変えては、交渉のタイミングを伺う。ついに真夜中、なんとかテーブルに乗せることができた。とはいえ、本当に大変なのはここからだった。「これは削ってくれ」「この文言を加えてくれ」と、一字一句にリクエストが入る。通常なら本社に連絡して法務部に確認するのだが、東京は夜中だから無理だ。それでも、ここで決めなければ日本には帰れないぞ。そんな思いが彼女に湧き起こった。向こうはイラン政府を背負っているかもしれないが、私だって伊藤忠商事を背負っている。

絶対にここだけは応じてもらわなければならないから、ここは譲歩するしかないだろう。バンコクで一人、頭をフル回転させて判断を下し、ついに「イエス」の一言を引き出した。念のため、翌朝に書面を再確認する約束をとりつけて、フラフラになりながら宿泊先へと戻る。

「これで法務にダメと言われたらアウトだな。でも、これしかない」

先輩にメールを送り、おちおち眠れないまま朝を迎え、法務部からの連絡を待った。OKとの返事が来てもまだ油断できない。落ち着かない気持ちで飛行機に乗り帰国した。大役を果たした実感は、湧いてこなかった。

日本で手続きを進め、無事に調印式を迎えた。イランのテレビ局、新聞等の取材陣からフラッシュがたかれる。そのとき課長からメールが届いた。

〈本当におめでとう!!〉

ようやく安堵できて、言いようのない喜びに包まれる。ハラハラドキドキの連続だったが、契約の最初から最後まで携わった初めての案件を、彼女はやり遂げた。

「寺内さん、お子さんの熱が下がりません」

「わかりました!すぐ迎えに行きます!」

三一歳で、産休を取ったあとの異動先は、電力プロジェクトの部署だった。二〇代のような焦燥感は減ったとはいえ、保育園から頻繁に呼び出されるし、出張にも行けないし、会食にも顔を出せない。お客さんの広がりもなくなり、どんどん世界が狭くなっていく気がしてならない。

「ここに私のいる意味、あるのかな?」

そんなモヤモヤを抱えたまま四年が過ぎた頃、インドネシアの案件が始まった。結婚してから、三人目の子供を授かっていた。東南アジアで最大規模の地熱火力発電所の建設プロジェクトだった。伊藤忠商事が主体となって、一〇近い銀行を相手にプロジェクトファイナンスを組み、向こう二〇年で完済するスキームである。長期にわたるプロジェクトのありとあらゆる計画を書面で提出し、各銀行からの質問に答えていかねばならない。

そうしたやりとりの大半は、メールと電話会議で進めることができた。だが、融資契約の交渉が佳境に入ると、そうはいかない。全員が面と向かって集まる場に行く必要がある。第四子の臨月に入った身体だったが、課長にこう申し出た。

「シンガポール、行きたいんですけど」

「うん、いいよ」

シンガポール出張ののちは、自宅で仕事をした。「ねえねえ、お母さーん」と甘えてくる子供の相手をしながら、頭を切り替えて電話会議にジョインする。

プロジェクトファイナンスでは、融資契約、建設契約、操業運転契約、保険契約など、数々の長期契約を複数の企業と締結し、さらにその一つひとつを担保に入れる事務手続きが必要だ。その数は膨大になる。契約書類は言うまでもなく、簡単には読みきれるものではない。仲間たちをいつでもフォローできるよう、書類を読み込み続けた。調印式を終えた知らせを自宅で聞いた翌日に、末娘は生まれた。

この調印を境に、自分は大きく変わったと実感している。

二〇代にずっと頭につきまとっていた「貢献できてないな」「なにやってるんだろうな」という戸惑いはいつしか消え、自分の立ち位置や役割が掴めるようになってきた。そして、自分一人で悩んだり抱え込んだりしないようになった。実際、一人ではなにもできない。

まだ子供がお腹にいたときに、シンガポール出張を許可してくれた課長は、彼女にはなにも言わずに、特別にビジネスクラスを手配してくれていた。調印を迎えられたのも、子供が元気に誕生したのも、課長のさりげない気配りあってのことだとつくづく思う。

陰でいつも見守ってくれた事務職の女性には感謝してもしきれない。子供の急な発熱などで自宅と職場を忙しく行き来しているときには、いつも手を貸してくれた。ときには弱音をじっと聞いてくれた。ある日手渡された「荒波に負けずに頑張ってね」というメモは、いまも大切に手帳に挟んでいる。だから、四人の子育てに奮闘して「スーパーウーマン」と呼ばれるぐらいに、ここまで頑張ってこられたのだ。


この一〇月、彼女は課長代行となり、初めて役職についた。

この先もさまざまなことを勉強する日々は続いていくが、向き合い方に変化が必要だと実感している。自分の中に吸収するだけではなく、周りに還元していく。子供たちに対して、課のメンバーたちに対して、つぎの世代へと学んだことを繋ぎ、新しいものを生み出していかなければならないのだ。

繋ぐといえば……。

彼女はロースクール時代を思い出す。日本の企業や法律事務所から来ていた卒業生たちから、代々受け継がれている数冊のノートがあった。日本人の几帳面さは、どの国にもひけをとらない。授業のノートには、先生が時折はさむジョークまで記載されているのだ。

予習したノート通りのジョークを授業で聞き、彼女は仲間と顔を見合わせて、思わずにやりとした。