夜明け前の
伴走者

  • 食料カンパニー
  • リテール開発部長代行
  • (兼)リテール開発部
  • 食品開発トレード課長
  • 2005年入社

伊東 裕介Yusuke Ito

Conflict
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「うちの技術で世界を救う!」

大きな志を抱いて、バイオベンチャーの門を叩いた若者たちが目の前にいる。だが、その瞳の輝きは失われつつある。思うように業績は伸びない。研究開発費は無常にも嵩んでいく。地味な業務で毎日が過ぎていく。こぢんまりしたオフィスには、重たい空気が覆っている。志からほど遠い現実へのやるせない気持ちが、ひしひしと彼に伝わってくる。

出資企業として、同じゴールを目指す仲間として、年長者として。この若者たちに自分は、一体なにができるのだろう。


思えば、悩んでいる誰かを、見過ごせない性分だったのかもしれない。

「先生、あの高校に受かったよ!」

彼は大学時代、ひょんなことから進学塾を開いた。塾長である彼と講師たちの気さくな雰囲気がそうさせたのか、口コミで集まってくる生徒は、やんちゃ者の中学生ばかりである。

「親はサジ投げてるけど、このままじゃいけないとは思ってんだよ」

いわゆる落ちこぼれでも、こちらが体当たりで付き合えば、本人は真剣に勉強し始める。学力をアップさせ、少しでもランクの高い高校に入学させることで、それぞれの生徒が進むべき道を切り拓く手助けをしてきた。


大学ではバイオテクノロジーを専攻していた。祖父が医師だった影響もあり、医療分野で貢献できる仕事をしたいと考えたからだ。大学院に進学すると、膜タンパクの構造解析をしている教授と出会う。その研究テーマは、成功すればノーベル賞ものだった。

「ネイチャー誌の表紙を飾りたい!」

昼夜を問わず研究に没頭した。ところが二年の終わり頃、他大学のチームに先を越されてしまう。彼の前から、追うべき目標がスッと消えていった。

修士課程を終え、このまま博士課程に進むしかないと考えていた矢先、研究室に一人のOBが訪ねてきた。繊維と食品を扱う中堅商社で人事担当をしているという。

「伊東くん、うちに来てみない?」

「でも、商社って、なんですか?」

「いろんなことができるんだよ」

これまでまったく考えたこともない進路であったが、どこか気になってしまう自分がいた。思い切って入社してみると、想像以上に仕事が面白い。

一年目は貿易部門で、船舶の手配や海外相手の決済を任された。そうした社内サポート的な業務に飽き足らず、二年目は物流機能の外販を思いつく。トータルで外注できれば、相手企業は煩雑な業務をスリム化できることになる。さまざまな会社に自ら売り込みに行き、大手化粧品会社への導入も決まった。三年目以降は食品部門の営業として、自ら商売を動かす楽しさに目覚めた。OBの言葉どおり、いろんなことを自由にカタチにできた。

だが、その環境も長くは続かなかった。その商社は大手メーカーに買収されて子会社となり、なにかと制約が入ってきたのだ。自由度はめっきり減ってしまった。

「なんだか面白くないな……」

そんなとき、ある会合で伊藤忠商事の社員と出会った。初対面なのに、それまでの経験や近況をいつしか熱っぽく語っている自分がいた。聞き終えた相手はこう言った。

「伊東さん、うちに来る?」

伊藤忠商事に転職した彼は、食料カンパニーの配属となった。ミネラルウォーターのエビアンを扱う課だったが、それだけでは当然大きな成長は望めない。商品を右から左に流すのではなく、独自の原料〜商品〜流通網をつくっていくための事業投資を模索し始めた。

まもなく彼は、健康の維持・増進や栄養補給を目的とする機能性食品と呼ばれる商品を扱うベンチャーの担当になる。食品に混ぜると抗酸化作用が得られる、プラチナナノコロイドを開発した企業だった。

「面白い商品がつくれるかもしれない」

ところが、名刺交換した二週間後に社長が辞任し、ゴタゴタ状態に陥った。このままでは、せっかくの技術も人目につくことなく埋もれてしまう。それだけは、なんとしても回避したい。

彼は対策を講じることにした。この技術の可能性を信じる企業からの出資を募って別会社を新たにつくり、ベンチャーから事業譲渡すれば、技術や社員たちを生かすことができる。

とはいえ、譲渡は株主たちの同意なしに実行できない。何度も総会を開いては事情を説明し、説得を重ねる。共同出資した製薬メーカー担当者の助けも借り、ようやく合意を取り付けた。

危機的状況から脱した彼は、プラチナナノコロイド入りの商品を開発し、販売した。プラチナのイメージを模したパッケージが存在感を放つ。そのインパクトも消費者受けし、予想を大きく上回る出足を記録した。

彼の思いは、より強くなる。

「世に出られずに、くすぶっている原料を見つけ出して、消費者への訴求力が高い商品を世界に流通させたい」

二〇〇七年の秋、ある新聞記事が彼の目に飛び込んで来た。

『ミドリムシで世界を救う。東大発ベンチャーの挑戦!』

確か、そんな見出しだった。

▽ミドリムシ(学名ユーグレナ)は、海藻などと同じ藻類の微生物である。▽光合成を行うことで植物性の栄養素をつくると同時に、動物性の栄養素もつくり出せるハイブリッドな生命体である。▽含有する栄養素の数は、じつに五九種類にも及ぶ……との特徴を記事は語っている。

「ミドリムシという名前はともかくとして、すごく興味深い原料だな」

彼は早速、当時組んでいたファンドと一緒に、記事の会社を訪ねることにした。それが、ユーグレナというバイオベンチャー企業との初めての出会いだった。

当時のユーグレナ社は、社員はまだ一〇名ほどで、オフィスもこぢんまりとしていた。同席したファンドは、早々に手を引いた。上場までには、かなりの時間がかかるという判断だった。

だが、彼は何度も訪問を重ねて話を聞き、安全性や科学的数値の分析も行った。ファンドとは異なる総合商社の営業という視点から、原料としての大きな可能性を確信していたからだ。

出資に向けて動き始めた彼に、上司はこうアドバイスした。

「原料の可能性だけでなく、その企業の社長や社員の人柄もじっくり見て、投資するかを判断してくれ」

半年かけて社長や社員たちと何度も会って話をした。起業した動機や情熱、粘り強さなど、どれも申し分ない。彼は大学院時代の自分を思い起こした。次元は違うかもしれないが、研究に没頭した者として、社長の発する熱量にはシンパシーを覚える。なにより、社員全員が同じ方向を見ている。ベンチャーならではの、目の輝きがある。

彼は確信した。

「付加価値の高い商品を世に送り出したいという自分の思いを、この人たちとなら間違いなく共有できる」

こうして、翌二〇〇八年の五月、正式に出資が決定した。彼はまず、消費者の視点を考えて、敬遠されがちなネーミングを避けることを提案した。

「ミドリムシって食品名には不向きだから、学名のユーグレナで商品展開させましょう」

伊藤忠商事の経営参画は、さまざまな企業からの出資や提携の呼び水となった。だが、業績は計画どおりには伸びず、研究開発費も次第に膨らんでいく。伊藤忠商事の管理部門からは、ユーグレナの業績見通しに対して厳しい指摘を受けるようになってきていた。

「もう、減損するしかないな」

「待ってください。一年だけ。あと一年で、計画のラインまで行きます!」

なんの根拠もなく、口を突いて出た言葉だった。敢えて挙げるなら、ユーグレナの社長と社員の人となりが根拠だった。

もし損失計上などしたなら、社内でのユーグレナのイメージも大きく損なわれてしまう。事業の将来性について、彼は必死の説得を続けていた。

ユーグレナの社員たちの心にも、迷いが生じ始めていた。「世界を救う」という大きな志のもとに入社したものの、目の前にあるミドリムシ入りクッキーやサプリメントを売る業務に日々が忙殺されている。理想と現実の狭間に立たされ苦しむ社員たちを、彼はそのまま放ってはおけなかった。

そこで、伊藤忠商事の食料カンパニーの若手を動員し、ユーグレナの社員たちとの会食やフットサルなど社外交流の場を定期的に設けた。

「いやー、僕らだって、最初から全員が海外を飛び回れるわけじゃないし」

「えっ? 伊藤忠さんでもですか?」

地道な仕事の先にこそ道が拓ける。そんなビジネスに役立つ気づきを与えたり促したりすることは、社会人の先輩としての役割だと彼は考えている。

そんなとき、風向きを大きく変えたのは、ユーグレナの取締役の一言だった。

「ミドリムシの名で売らせてください」

これが起死回生の結果を生んだ。ムシという食品にはそぐわない言葉の反面、五九種類もの栄養素を持つ。そのギャップのユニークさにマスコミ取材が増え、消費者の認知度が爆発的に上がっていく。「ムシという名前は食品には相応しくない」というコンサバティブな視点だけでは新しい世界は切り拓いていけないと、彼はこの一件から学んだ。


※投資した金額が回収できないと判断して、財務諸表上の企業価値を引き下げること。


吹き始めた追い風に、いかに乗っていくか。こんどは彼が導く側だった。

「伊東さん、ミドリムシ入りのクッキーやヨーグルトで、ファミリーマートからどんどん攻めましょう」

「いえ、待ってください。コンビニで一気に広まると陳腐化するのも早いんです。まずは付加価値の高いサプリメントの市場からじっくりと始めて、次に中食や外食向けに攻めていきましょう。コンビニはそのあとです」

それは、プラチナナノコロイド入り食品を販売したときの、苦い経験から出た言葉だった。大ヒットはしたが、消費者から飽きられるのも早く、戦略の見直しを強いられたのだ。ミドリムシを一過性のブームにしてはいけない。

業績回復につながるまでには時間がかかり、管理部門からのプレッシャーは続いていた。その様子を見ていた上司が、笑顔で彼にこう言った。

「気にするな。管理の連中にはオレからも言っておくから。一緒に乗り越えていこう」

日本ではベンチャーが育ちにくいと言われる。投資家自身が早々に芽を摘んでしまうことも要因だ。体力のある総合商社が、長い目でどっしりと支えることは、大きな社会的意義を持つ。 ユーグレナの社長も、どっしりとした構えの人物である。ベンチャー企業ならではの危機に何度か直面したときですら、信念を貫き通し、あたふたする姿は微塵も見せない。社長のように自分も、悠然と管理部門に対して向き合っていこう。ブレない姿を保ち続けることが、きっとブレイクスルーへと導いてくれるに違いない。そう彼は信じていた。


出資から二年後、ファミリーマートでミドリムシ商品が販売される頃には、ユーグレナの将来性を疑う者は誰もいなくなっていた。二〇一二年にマザーズ上場、二〇一四年には東大発のベンチャーとして初めてとなる東証一部上場を果たした。


商社という道に進んで本当に良かった。あのときのOBの言葉どおり、いろんなことができる。もちろん、自分にその気があればの話だ。

たとえば、エビアンの部隊が海外ブランド食品全般を扱う部隊と統合したのを機に、彼は担当商品をどんどん広げていった。

限定的だった欧州のブランドクッキーの流通網を大使館にかけあって広げたり、海外の日本料理店だけに普及が留まっていた日本の食材や調味料を一般家庭でも気軽に使えるようなかたちに開発したり、これといった銘菓がなかった某国のお土産の企画開発を手伝ってヒットさせたりした。少し工夫を加えれば広く受け入れられる。そんなアイデアの数々が、つねに頭の中にひしめいている。

そして、なにより彼が得意とするのは、やはり機能性の食品原料だ。ある日、ユーグレナを通じて知り合った量販店の担当者から電話が入る。

「伊東さん、スーパー大麦って知ってる? 調べてみて。すごい原料だから」

大手素材メーカーが開発したものだったが、食品へは初進出であるため、商品化や流通のノウハウには乏しい。

小売機能を駆使してマーケティングもできる伊藤忠商事とのタッグは、そのメーカーにとって願ったり叶ったりである。原料の性質を考え、今回は早速おむすびやサラダに入れて、ファミリーマートで販売することから彼は提案した。消費者の反応は上々で、予想を超えるスピードで在庫が消えていく。ユーグレナとの仕事も縁となり、また一つ、新たな食品が世に知られるようになった。

課長になった彼は、メンバーたちにこんな話をよくする。

「商社のビジネスは、その商売ができた〇・〇一秒後から陳腐化するんだぞ」

消費者の視点で常にアンテナを立てる。その一環として彼は、週に二回は取引など利害関係のない社外の人と会食をして、課題や悩みを聞いたり、忌憚のない意見交換をしたりするよう心がけている。理系出身だが、ウェットな人間関係こそ、新しいものを生み出す源になると考えているのだ。

東日本大震災直後のこと、取引のない大手小売の担当者から、飲料水を売ってほしいと連絡が入った。手配の厳しい状況に切羽詰まった様子だ。

だが、エビアンを発注してもデリバリーに三か月かかる。そこで彼は、傘下の飲料系事業会社に片っ端から発注をかけた。商売としては赤字になったが、迅速に数千本の水を届けることができた。 後日、その担当者の上司が言った。

「じつはあのとき、数百社から断られたんだ。伊東さんだけだよ、できますって言ってくれたのは」

のちに、この大手小売との付き合いが始まる。その一つが、実績も知見もなかったワインである。日本がFTA(自由貿易協定)を結んでいたチリに着目し、協定の詳細を調べた彼は、思わぬ発見をした。

「ワインをタンク詰めで輸入し、日本でボトルに詰め直せば関税がかからない!」

早速、ボトリングできる会社をあたり、意気投合した専務と話を進めた。その結果、高品質を低価格で楽しめるワインは巨大市場を生み出した。伊藤忠が間に入ることで大規模な事業が得られたため、その会社も大きく成長するきっかけとなった。いまも、その専務とは食事を楽しむ間柄である。


彼がまだ課長に昇進する前のある日、フットサルや会食に誘ったユーグレナの若手社員から電話が入った。

「伊東さん、オレ、課長になりました」

「おめでとう。でもさ、僕よりも早く出世して、ズルいなぁ」

きっと瞳の輝きを取り戻しているだろうと想像しながら、冗談めかした。

当事者から見ると袋小路や迷い道であっても、こちらが別の視点を示せれば、視界がパッと開けることは少なくない。なにより、彼はこう思うのだ。

せっかくのものが、もったいない!